0.針小膨大 []

1.予感の予感 []

2.樹上庭園 []

3.自動人形の恋の歌 []

4.仮題 []

5.孤軍規律 []

6.既視感の既視感 []

7.最後の曲 []






<針小膨大>

針で刺したような小さな穴が、全てを飲み込む重力場ともなりうる。一方大いなる時間の流れは、我々にとっては微かなものとしか体験できない。
棒を振るうという文明を手にしたことは、大それたことだったのか、それとも大したことでもなかったのか。
そして、心象風景こそが最も膨大であるともいえる。

この曲は、アルバム全ての曲の総括である。
最初に聴く時点ではちっとも意味がわからないと思うが、ある意味アルバムのネタバラシである。
では何故、この曲が一番最初に配置されているのか。
それは、皆にリピートという行為を、輪廻の真似事という行為をしていただきたいからである。全てを聞き終え、最初に戻ってきて欲しいのだ。

更に言うなれば、理解不能の真理こそ、もっとも身近に、最も初めからそこにあるのだから。

<戻る>





<予感の予感>

あなたは予感の予感を感じたことがあるだろうか?
花のつぼみがある。きっとこの花は咲くだろう。これは推測である。
晴れ渡った空の下、何も情報も得ていないのに「雨が降るかもしれない」と傘を手に取る。これは予感である。
予感の予感とは、そのものずばり「予感がする予感がする」という、非常にかそけきものである。
憶えていない夢の感覚。街中で知り合いに似た人に会ったような気がする。いつの間にかついた口癖。死ぬまで思い出せない、何か。

この歌に意味を求めることは、無意味でもあるし、有意義でもある。
この曲を聞き、歌詞を眺めることで、心の中になにか『ざわめき』を感じないだろうか。
これは切ない歌なのか、楽しい歌なのか。
最期に手を振っているとき、その顔は微笑みなのか。涙なのか。それとも、顔など最初から無いのか。
何かに「はっ」と気づかされる瞬間があるかもしれない。しかしその気づきは、次にはもう忘れてしまっている程度のものなのだ。

<戻る>





<樹上庭園>

空を飛び続けるオーパーツがあれば、それに興味を全く惹かれないという人は、余りいないだろう。
正体不明の飛来する物体。それは庭園であり、そして煉獄でもある。
あなたを待ち受ける歓待の木々。そして、虜囚。更には歌。

そこにはあるはずのない機械があり、歴史があり、人影はしないがうめき声は聞こえるかもしれない。
そのうめきは何者のもので、この庭園は何物なのか。
窓を揺らし木の葉を散らし現れる、『彷徨えるオランダ人』。
その正体の詮索は、もしかするとこの曲ではない曲を聞くことで、答えが出るのかもしれない。

<戻る>





<自動人形の恋の歌>

感情はくだらないものだ。
男女はくだらないものだ。
恋愛はくだらないものだ。
性欲だけが必要なものだ。

あったのかもなかったのかもわからない話は、時を経て寓話となり、場末のバーでその『くだらなさ』と自分自身を重ねる女が、艶やかな唇で歌い上げる。
人は女に似せて女でないものを作った。
少年はまだ男ですらないというのに、その作られたものに愛情を持った。
女に似せて作られたものは、女ではなく、少女でもなかったが、感情を持ってしまった。
そして偽物の愛憎は、虚像の男女の間でふくれ上がり、ひとつの結論を導き出してしまう。
恋愛はくだらないものだ。
性欲だけが必要なものだ。
女は今日もそう歌う。

<戻る>





<仮題>

大切なものとの別れは辛いなんてものじゃない。
ましてや相手が目の前で消えていくとしたら。すっと目の前で消えていくとしたら。手ごたえがなくなっていくとしたら。それは恐ろしいことだろう。
しかし、あなたにはまだ選択肢はある。あなたは彼女のゴッドファーザーになりつづければいいのだ。触れる端から消えていき、消えていく端から仮定する。
あなたが彼女に対する思いを、思い出を、つながりを、言葉を、感情を、その手を、出来る限りの力で。
そうすることでふたりはまだ、繋がっていけるはずなのだから。

この曲は、いわゆる別れの歌に相当する。しかし道は残されている。切ないながらも、朝日の中であなたがやれることは残っているのだ。

絶望的でも手段があるのならば、そこであきらめてしまうのは逃亡だ。

是非ともあなた自身の手で、状況の『仮定』を繰り返すことで、この課題をクリアして欲しい。
きっとこの歌は、切ない歌だがハッピーな歌なはずだから。

<戻る>





<孤軍規律>

この曲の基本背景は、近未来SF世界における、退廃したディストピアを生きぬくための個人戦乱である。
頼れるものは自分しかいない。ゲリラ戦に持ち込むしかない。生き残るには選ばなければいけない。
しかし、頼れるものが自分しかいない、個人で闘いつづけるしかないというのは、規模は違えど現実においても全く同じことだ。
あなたも自分の心に負けないよう、孤軍奮闘するための厳しい規律を、自ら定めてはいかがだろうか。

いや、既に皆、その規律に囚われているのかもしれませんね。

我、地に平和を与えんために
来たと思う勿れ
我、汝等に告ぐ
然らず、むしろ争いなり
今からのち、一家は五人あらば
三人は二人に、二人は三人に
分かれて争わん
父は子に、子は父に
母は娘に、娘は母に

劇場版パトレイバー2でもラストに引用された、『ルカによる福音書 第12章51節より53節』である。

平和は、ない。

常に世界は争いと休息と、癒しと音楽に満ち溢れているのである。
さあ、あなたも自らの規律を歌ってみてください。

<戻る>





<既視感の既視感>

輪廻を待ち受けるのか。
輪廻を自ら起こすのか。
待ち受けながらもそれでもまだ尚輪廻の道を選ぶのか。
選択権はあなたに存在する。

<戻る>










<最後の曲>
この歌詞は、購入することがなくともジャケットの裏に記載されており、読むことが出来る。
さて、何故『既視感の既視感』で曲の最初にもう一度戻って欲しいのか。
そして、それを繰り返して欲しいのか。
なぜ最後の曲を、"最初の段階では"最後に聞いて欲しくないのか。

いつか、『最後の曲』を繰り返し聞くことで、その無常観があなたに伝わるだろうか。
僕らは何が出来て、何が出来なくて、そして何も、やっぱり何ひとつ出来ないのではないか。
僕らは、いや社会は、何をしているのだろうか。この世界の広がりと寒気さは、一体何なのだろうか。

それには決して気づけない。
しかし、それを知ったときにどうすればいいのかは、『最後の曲』で最適解が提示されるのだ。
このアルバムは、哀しいアルバムでもない。ハッピーエンドでもない。
今あなたの前にある現実を、針小棒大に語っただけなのである。

<戻る>